味の歳時記 水無月 菊水庵by料亭 菊水

そろそろ この季節になると入梅に近づく頃です。


雨が降る時でもあるのに、水無月とは如何に?
田植えや農作物に必要であるとの意味や、それこそ、水が足りないほどとの意味などいくつか、あるそうです。


私の中では 何といっても6月は思いの深い月でもあります。
私の誕生月でもあり、そして、亡き母親の誕生月でもあるのです。
幼い頃、玄関横の庭はそれこそ祖母と母の趣味とも言える庭作りで 山で採ってきたいわかがみや雪の下 いわかがみなどは、確か群馬県の鬼押し出しに行ったときに見つけたもののようです。
切り立った溶岩と岩の間にその花は ひっそりと咲いていました。
私も言われなければ、気がつかないほどその花は静かに、可憐に咲いていました。


祖母と母は 声を出して見つけたことに大喜びで、「花泥棒に罪はないのよね」と子供のようにはしゃいでいたことを思い出します。
帰り道で祖母と母は「根ずいてくれるかしらねぇ」とそれは大切に持ち帰りました。


そのいわかがみの側には、池があり、菖蒲が匂いそして、何といっても私の大好きな花 紫陽花
紫陽花が庭の鹿威しの横にその紫の大輪とがく紫陽花の二つが咲いていました。

学校に行くときも 部屋の窓からも その紫は美しく咲いていました。


ある事情で母と離れて暮らす時も 亡くなった祖母の面影もその紫陽花にあったのかも知れません。

しとしとと静かに、雨が降り 雨露に濡れた紫陽花は涙が出るほど美しく、それは寂しかったあのときの思いと重なり 今も私のとても大切な思い出です


また、この季節は、梅の料理の時期で梅干しはもとより、梅酒、梅の甘露煮と毎年6月から7月にかけ祖母も母も いただい沢山の梅をそれぞれの使い道に選り分け 下ごしらえしていたのが目に浮かびます。


梅の甘露煮は子供の私も好物でしたが、その下ごしらえの手伝いは、逃げ出したいほど面倒だったのを思い出します。
大粒の梅はまず、塩もみして産毛をとり、さっと霜降りします。

そして、割りばしに木綿糸で取り付けた縫い針10本ほどでしょうか、一つずつその梅にはりうちしてゆくのです。同じ箇所を避け全体を均等に穴をあけてゆく作業は、目の前の山積みされた青梅の笊に眠くなるやら、頭が朦朧としてくるはで、それは気が遠くなるような手伝いでした。


 「一年の丁度半分 梅雨入りになり、物も傷みやすい時 これから蒸し暑くなると、自然に酸っぱいものや、酸味が体にとても良いのよ」と祖母。
1日目は薄めの砂糖水で静かに梅を炊き、2日目はさらに砂糖を足して炊いてゆくのですが、「梅も生き物 急に砂糖と強い火で煮たら、梅が驚いてシワをよせてしまうのよ」と話していました。

その日の夜は、梅さんにも静かにお休みしてもらいまた明日ね。

すぐには出来上がらない そのための準備と下拵え 出来上がったもの きりつけられた魚、インスタントの食べ物に物語も思いも夢もありません。それは食うとゆう作業であり、物の大切さは感じることができません。


糧 この言葉 どんなものも食べてしまう私たち先人の知恵はまさに、哲学とも言えますね。

どこで採れて 何処からきたのか、そこには、季節があり、花鳥風月の自然に生かされた物語があります。

出来上がった梅の甘露煮はシャーベットにされ 祖母の好きなハイカラなギヤマンの器で食卓に出されました。

「これは、戦争で逝ったおじさんが 誕生日にくれたものなのよ」食事は思い出と物語が必要なのかもしれません


数あるレシピの中でも、一番大事な調味料なのでしょうね。
私の心にも静かに今も、雨露に濡れた紫陽花は咲いています。
 
今月は清流の香 
 
鮎 鯉 岩魚 やまめ をはじめお野菜やお豆腐のお料理も献立に登場します。
 
お昼ご飯 日替わり週がわり
 
夜のおまかせ
 
 おまかせ3菜 おまかせ一汁七菜 など旬の素材で皆様のお越しを心よりお待ちしております。
 
                                       石心 一味 菊水